デッサンの進めかた
ピントが合うように
受験デッサンの指導の中でよくあるメタファ的説明のひとつに「霧が晴れていくように描く」という表現がある。
まっさらな画用紙の状態を、霧が張ってホワイトアウトした様子に例え、この霧が少しずつ晴れて向こう側に隠れていた世界がだんだん見えてくる様に、画用紙にバランス良く鉛筆を乗せてゆき、画面を構成してゆくプロセスを表している。
これはこれで否定はしないのだけれど、私がよく使う表現として「ピントが合うように描く」といいよと説明している。
例えば真っ黒で広い面積のある場所は、霧が晴れる画法だとだんだん濃くなるけど、ピントが合う画法なら、最初から黒い。明らかに黒いなら、その範囲は求められる黒さまで、瞬間で鉛筆を載せてしまうのがいい。
ピンポケした状態で、まず整える
画面の中の明度の配置やバランスを、トーンと呼ぶ。必要なエリアに必要な黒を載せ、画面全体の中でのトーンの配置をまず作ってしまう。目を細めた状態で、モチーフの持つ、トーンの配置と、画面のそれとが同じようになることを目指す。
ピンポケしてるなら位置には遊びが残るので、少し位なら動かしても手間がない。この状態からゆっくりゆっくりピントを合わせるように、書き込む筆の太さを小さくしてゆく。木炭紙大なら最初は手のひらくらいの大きさでぽんやりトーンの配置を捕まえる。次に握りこぶし大。五百円玉。十円玉。指先。針先。というように画面全体のバランスを保ちながらピントをフォーカスしてゆく。
バランスを維持しながら、フォーカス
こうやってヒントを合わせる過程で、常に画面全体の構図を意識しながら位置を決めてゆく。形の狂いに気づいたときに、どっちを直すか迷う場合も、決める基準は全体の構図を合わせることを優先する。楽な方を選んではだめ。構図と形を直すとき、イメージとしては、全体を左右上下前後にガタガタ揺らしながら、ベストポジションにビシッとはめるようなイメージ。
途中で狂いに気づいたときに、勇気を持ち正しい選択ができ、どんな狂いも必ず収束できることに自信が付いてくると、序盤で色を載せてゆくことに躊躇しなくなる。どのポイントからでも正解に引き戻せる自信は、加筆への自信となり、フルスロットルでスタートダッシュできる、強力な武器となる。
この方法は、無駄な遠回りも、慎重すぎる足踏みも一切ない。<表現としての完成型>に向かって真っ直ぐな最短ルートを通る。そのためには、画面の上では、鉛筆の黒と消し具の白とで、重厚に描画を重ねる必要がある。
ケースと中身の例え
画面は鉛筆や消し具でこすりつけられつづけ、紙は傷み、毛羽立ち、ときには穴があいたり破れたりすることもある。画面に寄ってみるとボロボロになって痛ましい。しかし、離れて見ると、描かれた世界は純粋で明快でクリアなものになる。
例えて言うなら、ガラスケースに入った人形があるとする。最も退屈なのは、陳腐な人形が不釣り合いにキラキラした高級ケースに収められた状態。見どころがなく、見るほどに残念な思いしか湧いてこない。一方で、ケースが多少まずくても、中に見える人形がすばらしければ、食い入って中を見たくなるに違いない。プロとして売り絵を描くなら、上質な人形をくもりひとつなく磨かれたケースに入れられる完璧な状態を極めることが必要になるかもしれない。中身がほぼ100点満点でここにあと1~2点追加してくれるのがケースであって、中身が80のまま、ケースの加点に労力を注ぐのは本末転倒である。まずは中身。ガラス磨きに費やす時間があるなら、これは表現の輝きのためにそそぐのが正しい。